
略歴
1961年 富山高等学校卒業
1964年 ヨーロッパ無銭旅行
1966年 工学院大学建築学科卒業
1969年 富山大学文理学部文学科哲学課程卒業
1981年 金沢工業大学助手、講師、ライブラリーセンター兼務、助教授を経て教授
1984年 工学博士(東京大学)
1985年 マサチューセッツ工科大学客員研究員(1987年まで)
1990年 米国議会図書館国際研修員(1991年まで)
1994年 日本建築学会図書館長(1995年まで)
1995年 金沢工業大学ライブラリーセンター館長
2008年 金沢工業大学建築アーカイヴス研究所長
2017年 金沢工業大学建築アーカイヴス研究顧問
現在、国立近現代建築資料館運営委員会座長、建築空間デジタルアーカイブス理事長、NPO建築文化継承機構理事、富山市建築審査会会長、高岡市歴史まちづくり協議会会長、金沢市歴史遺産調査研究室顧問などを兼務。
幼少時から私には困った癖があって、興味あることには寝食を忘れるが、興味のないことは全くしないという学校教育に適応できない生徒だった。だから富山高校ではビリから数 えた方が早かった。私が興味を持った唯一のことは読書で、中学の頃は岩波文庫赤帯、青帯を読み漁っていた。だから富山高校に入学したとき立派な図書館があったのに驚くと同 時に大変喜んだ。
今でも憶えているのは『ツシマ』と題した本で、片仮名のツシマの意味が分からず「何だろう」と思って書架から引き抜いたのだった。それはノビコフ・プリボイの著作で日本海海戦におけるバルチック艦隊敗北のロシア側の記録であった(司馬遼太郎が『坂の上の雲』で参照している)。戦前の出版だったからこれは富山中学の蔵書だったのだろう。それまでの私の読書は文学偏重だったので、この書物でノン・フィクションの面白さを知ったのを契機として、三年間、興味に任せて多様な領域の多くの書物を図書館で読み、乱読の愉みを知った。私の基礎教養は富山高校図書館に造って貰った と言える。
本は沢山読んでも成績は低迷し続けていたが、高校上級ともなれば、将来の生業を考えねばならない。本を読むしか能がないので物書きになるしかないと考え、文学部へ進むべく漸く受験勉強をする気になった。ところが母が反対して理科系へ行けと強く言う。父が文科系大学生の徴兵猶予が取り消されて、学徒動員で出征し戦死したことが母のトラウマになっていたからである。母には逆らえず工学部を志望したが、やる気をなくし受験勉強は放棄、図書館で当時流行のサルトルなどの実存主義文学を読み耽っていた。
そうして工学院大学建築学科に入学した。建築は工学的部分もあるが、先ずそれはデザイン、藝術だからである。ところがデザインの勉強が佳境に入る三年生の時に挫折した。デザイン能力は私にはなかったのだ。しかし建築を観るのは楽しかったので、1年間休学、ヨーロッパを「無銭旅行」し て各国の都市や建築を観て回った。建築や都市の解釈はそれを「読む」ことで読書に似ていると思えた旅行であった。
そこで大学院で建築を「読む」西洋建築史と建築論を 学ぼうと考えた。しかし学資は尽きていて東京での勉学続行は不可能である。そこで思い出したのが富山大学文理学部の哲学課程だった。哲学課程ならば建築論に必要な美学も学べるし、文科系で学べることが嬉しかった。そこで、母の願は果したことにして富山大学に学士入学した。富山大学哲学課程では同学年は私を入れて二人のみ。「哲学演習」科目が幾つかあり、哲学者の主著を原語で読む科目で、学生が予め読んで来て授業の場で改めて訳出する。通常でも百分、片方が欠席すると二百分担当しなければならず、これは辛かったが語学を鍛えられた。私は館熈道先生の指導を受け、宗教哲学にも目を開かせて戴いた。宗教現象を実存哲学と通底させつつ解明するのは、目から鱗が落ちる経験で、これは建築現象の解明にも適用できると閃いたのである。
富山大学卒業後、金沢工業大学建築学科に奉職、研究を開始、八編の論文を発表、これを纏めて東京大学に提出し学位を得た。この学位論文を『建築の誕生‐ギリシア・ローマ神殿建築の空間概念』と題して中央公論美術出版から出版した。これはハイデッガー哲学を援用して古代ギリシア・ローマ宗教建築空間の現象構造の解明を試みたもので、富山大学で得た着想の結実であった。
金沢工業大学は富山、石川県にある唯一の建築学科を持つ大学だったので、日本建築学会や両県の自治体が行う歴史的建築などの調査・研究は多く私の研究室に委託された。例えば建築学会の近代建築全国悉皆調査では私の研究室が両県の悉皆調査を行った。その際発見された歴史的近代建築の多くが、現在では登録文化財、自治体指定文化財、国指定重要文化財に指定されている。高岡市の山町筋や金屋町の重要伝統的建築群、菅野家、富山市の中島閘門、金沢市の陸軍兵器支廠などがその例である。 顧みると私は建築学、哲学、その他を興味に応じて広く浅く学んだ「雑学」者でしかない。
その出発点は富山高校図書館での乱読経験にあるし、現在も図書館から離れられずにいるのだから、富山高校図書館は私の人生のアルファでありオメガでもあるような気がする。