
略歴
昭和28年 富山南部高等学校普通科卒業
昭和32年 富山大学経済学部卒業
富山市役所勤務
昭和38年 社会教育団体所属
昭和59年 ケンユー社(健康美容関連品販売)代表
現在 ソフトテニス、社交ダンス、老人福祉施設へ慰問などを実施
著 書 『不死鳥の如く ある男の生きざま』(文芸社 2010)
「村の渡しの船頭さんはことし六十のおじいさん~」は誰もが口ずさんだ童謡だが、今どきこの年では到底おじいさんとは言い難く、まだまだ働き盛りのイメージのほうが強い。 かくいう自分は既にこの年齢を越えること十有余年、すっかりおじいさんの仲間入りを遂げ、健康被保険者証も後期高齢者として鮮明に位置づけされているし、運転免許証更新時にはあらかじめ高齢者講習を受けなければならない部類に入れられてしまっている。
更に現在、内と外の併せて七人の孫がいる身であるからには決して強がる訳にはいかないが、それにしてもおじいさんと呼ばれることにはいささか抵抗を感じてしまうというのが本音である。はっきり言って自分は年のことは全くといっていいほど気にしない。心はいつも青年のよう、つまり青春まっただ中である。とはいうものの実際のところ、誰彼問わず肉体は年と共に確実に老化していくことは否めない。当然脳細胞も同じであろう。だからといって慢心は禁物だが気持まで老化のお付き合いをしなければならない筋はなかろうと思うのだ。
とにかく人生を明るく楽しく生きよう。笑う門には福来ると同時に健康も訪れる。或る医学博士でもある落語家が、癌患者に落語を聞かせて大いに笑って貰ったところ、病状が著しく改善されたと言っている。
また人間の体内には誰でも毎日大量の癌細胞が発生しては消滅していくのだが、規則正しく穏やかな心で日暮らしをしていればそう簡単に発病に至るものではないとも説いている。 手前味噌になるかも知れないが、自分はテレビやラジオではニュースなど報道番組と共に落語などのお笑い番組が殊のほかお気に入りで、いつも辺りかまわず大声で笑いころげている。
昨今はテニスに社交ダンス、そして時折り老人福祉施設などへアコーディオンを弾く先輩につれられて慰問に訪れ、ナツメロを唄わせて貰っている。
しかしここに至るまでの人生はまさに苦難の連続であった。というより何度死の渕に追いやられたか知れなかった。元来生まれたときからひ弱な体で、学齢に達するまでに幾つもの伝染病を患いその都度入退院を繰り返さねばならなかった。極めつけは大学四年のときに腎臓結核にかかり、一時は治癒したかに思えたものの社会人になった直後に再発し、二度に亘る手術の末廃人同様にまでなってしまった。幸い奇跡としか思えない回復で娑婆への生還を果して今日に及んでいる。 そんな波瀾万丈のこれまでを、縁あってこのほど『不死鳥の如くある男の生きざま』と題して文芸社より出版させていただいた。
これ以後も寿命という貯えがゼロになるまで、ぴろきではないが「明るく陽気にいきましょう!」と、ただそれだけを心して過ごさせていただく積りである。