
略歴
昭和26年 富山高等学校卒業
昭和31年 東北大学法学部卒業
同 松下電器産業KK(現パナソニックKK)入社
家電部門各事業部長、シンガポール
松下無線KK、松下ウルトラテック
バッテリーコーポレーション(USA)
各社社長を歴任
平成4年 松下電器産業KK 定年退職
平成7年 松下興産KK 顧問退任
「1998年7月25日午前8時35分、夢にまで見た憧れのマッターホルン(4478m)の頂を踏みしめた瞬間だった。頂の稜線からスイス側にあの有名な北壁が、イタリヤ側には南壁が1500m近くの落差で遥か彼方の氷河に切れ落ちている。周囲さえぎる物のない孤高の頂からは、ヨーロッパアルプスの名だたる峻峰が殆ど見渡せるまさに感動と至福のひと時だった。」
私が世界の山に挑戦しようと思ったのは会社人生を了えた63才の年である。旅行でたまたま訪れたツェルマット(スイス)やシャモニー(フランス)で受けた衝撃、真夏でも全山氷雪に覆われたヨーロッパアルプス4000m峰の峰また峰。ピラミダルな鋭峰、また針のように尖った鋭い岩峰群。これらを目の当りにした時は呆然自失、ただただ圧倒される思いで仰ぎ見ていたものだった。そしてそこは熟練したクライマーのみに許される領域であり、60才を越えた世代の人間には所詮縁のない世界という思いしかなかった。
しかし帰国後その思いがふと変わったのは脇坂順一氏(久留米大学医学部教授)の著書「七十歳はまだ青春」「八十歳はまだ現役」に出会った時だった。 70才でマッターホルン十登目、80才でモンブラン登頂、これまで登った海外の山150座。これは本当に衝撃的な本だった。ひょっとしたら今からでも遅くないかもれない。
著者を見習って日頃のトレーニングから始めてみよう。目標をもったトレーニングなら続けられるかもしれない。そしてヨーロッパアルプスの山に挑戦してみよう。このような思いが沸々と湧き立つのを止めることが出来なくなった。
まず手始めに近郊の山、そして夏の剱岳、穂高岳にも登ってみた。殆ど疲労を感じず、若い人に伍して順調なスピードで登れる。脚力は何とかなりそうだ。しかしヨーロッパの山は長い危険な氷河や氷雪に覆われた岩稜を、アイゼンをつけてスピーディに登下降できなければならない。ロッククライミングの技術も必要だ。更に未経験の4000m以上の低酸素帯でも耐える心肺力をもつけねばならない。
偶然関西在住のプロ登山家と知り合う機会があり、個人的に指導を受けることにした。近郊の岩場でのロッククライミング、北アルプス、南アルプス、中央アルプスでの夏冬を通しての実践的トレーニングを続けた。
更にマッターホルン登頂のための試行ルートとして推進されている前穂高岳北尾根を2時間で登攀できたことは大きな自信になった。もちろん日常の筋肉トレーニングも近くのスポーツジムに連日通い続け汗を流した。
ただ問題は未知の領域である4000m以上の高所での適応能力である。これは実際にその高さに行ってみないとわからない。そこで最初にヒマラヤのカラパタール(5545m)に行ってみた。同行者の何人かは高山病で下山を余儀なくされる中、何の支障もなく登頂できた。ここから小生の世界の山への挑戦の人生が始まったのである。
ヨーロッパアルプス10座以上、世界各国4000m以上の最高峰30座以上の目標を、今年79才を迎えた年に達成することが出来た。
①ヨーロッパアルプス(モンブラン、マッターホルン等)13座
②南米、北米(アコンカグア等)8座
③ヒマラヤ(ヤラピーク等)2座
④アフリカ、中近東、アジア(キリマンジャロ等)7座
私もいつしか傘寿という歳になってしまった。果していつ迄このような登山を続けられるかわからない。しかしまだまだ無限の未知の頂への思い絶ち難く、日課になったスポーツジムへの足を止めることが出来ない昨今である。