インドに関わって

略歴
1963年 富山高等学校卒業
1967年 慶応義塾大学国際関係会
年間交換留学生としてインドへ留学
1969年 大日本印刷㈱外国部入社
1975年 同社NYC駐在員として 渡米
1983年 同社アメリカ会社DNP AMERICA NCシカゴ支店長
1989年 帰国、大日本印刷㈱市ヶ谷事業部勤務
2009年 公益財団法人 日印協会催事担当
プロジェクト・プランナー 現在に至る

昨年11月、富山高校卒の同期(75期)6人で鎌倉散策に出かけた。
我々は卒年時が「38豪雪」の年であることから同期会を大雪会(たいせつかい)と名付けた。台風が接近中、最悪のお天気にも拘わらず、ずぶ濡れになりながら1万歩以上を歩き、「思い出に残る一日だったね!」と大いに盛り上がった。その散策の道すがら墓石を見ながら、凡字(古いサンスクリット語)や慈愛と平和に満ちた密教仏を拝見し、鎌倉の歴史と文化に想いを馳せた。

凡字は西暦736年にインドから来日し東大寺大佛の開眼式で導師を務めた菩提僊那(ボダイセンナ)が伝えたものと言われている。そして、鎌倉武士団が精神的にすがる気持ちで仏像を拝んだのは、あの蒙古襲来の為ではなかったでしょうか。そんな事を思い巡らしながら、現在の日本、自分自身の立場を考えるとインドとの縁の深さを感じる。

そもそも私がインドとの係わりを持ったのは、昭和42年(1967年)45年前、一年間の交換留学生(当時、母校慶応義塾大学とインドの大学との間に学生交換制度が有ったが現在は中断)として南インド・マドラス(現チェンナイ市)ロヨラ・カレッジへ留学したことから始まる。当時、海外への留学は一つの目標では有ったが、留学先がインドという選択で思案 していたところ、信仰深い富山県民気質の母の「お釈迦様の国だから、いいがやちゃ!」との言葉に後押しされ決断をした。

帰国後、大日本印刷の海外事業部へ就職し、数年後にアメリカ勤務を任命された。高校の時から大学時代を通してアメリカ人との付き合いは多く有ったので、すんなりとNY生活に入れた感じはあった。とはいえビジネスの世界、特に新市場開拓にはチャレンジが常に必要であった。特にアメリカの出版界・美術界はユダヤ系アメリカ人の牙城であり、「法と理と実利」の業界だ。あの「ベニスの商人」そのままの社会を体験した。あっと言う間の14年間だったと回想しているこの頃である。

帰国後9.11テロ事件を日本から傍観し、アメリカのイラク攻略、アフガン侵攻を見てきた。近年になりBRICSの経済発展に接し、これからはインドの世界だと感じた。そんな折、109年の歴史を誇る「公益財団法人日印協会」との縁があり職を得た。

日印協会の設立は、前年に日英同盟、翌年に日露戦争を控えて国策上戦略的なものであった。当時、極東及び中東では対ロシアが一大課題であった。ロシアに直面する国、インドと日本は民衆の力を結集すべきとの、大隈重信、渋澤栄一等の発案で設立された協会である。

今、立ち返って、日本が置かれている現況と類似しているとは思いませんか。東アジアでの中国の覇権を誇示する姿勢には注意が必要です。

インドは地理的には遠い国ですが、人々は仏教で繋がり精神的にはく、今でも自国の独立は日本のおかげだと教育している国です。 世界で最も親日国であるインドとの関係を再注目しては如何でしょう。

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