
略歴
昭和55年 富山県立滑川高等学校教諭
昭和57年 富山県立富山中部高等学校教諭
平成 2年 富山県教育委員会生涯学習室研究主事
平成 7年 富山県教育委員会指導課指導主事
平成11年 富山市立呉羽中学校教頭
平成13年 富山県民生涯学習カレッジ副学長
平成16年 富山県教育委員会学校教育課主幹
平成18年 富山県立泊高等学校長
平成20年 富山県立南砺総合高等学校
福野高等学校校長
平成22年 富山県教育委員会生涯学習
文化財室室長
平成23年 富山県教育委員会教育参事
県立学校課課長
平成25年 富山県立富山高等学校校長
本校に赴任し、改めて広大な敷地を囲む亭々たる富高の杜の偉容や、百周年記念館・北辰会館など充実した施設群、そして勉学に部活動にいそしむ本校生など、時代を超えて変わらぬ学び舎の姿にふれるごとに感慨深いものがある。 本年は明治16年(1873年)の富山県の置県から数えて130年に当たる。明治15年の米澤紋三郎の分県請願は治水の要望を掲げて有名だが、その前年、明治14年の砺波出身の石崎謙の請願には、分県理由として治水とともに教育への求めがあった。
明治当初から越中の各地には、教育の場を求めて小学校が生まれる一方、卒業後の県内進学は限られた。明治10年に郡立の致遠中学校が富山師範学校内に創られが、石川県の郡制改変により財政基盤を断たれ、県立への移管もかなわず廃校にいたった。 明治16年の富山県独立後、小学校卒業式に列席した国重正文県令に、卒業生10が県内進学の場を求め、感銘した県令が県議会に諮り中学校設置を決めたこと、設置に当たって県予算3000円に対し民間からの寄付が7000円を超え、校舎敷地提供もあり明治18年に本校が創校したことなど、学ぶ場を求める人々の願いがいかに高かったかを端的に物語っている。
本校の創設以降、県内には続々と中学校が設置され、明治・大正・昭和・平成と時代を通じて、専門学校、高等教育機関、そして、日本海側最大級の総合大学富山大学の設置など、学びの場を創り育てる努力が、官民をあげ一貫して続いてきた。 その間、本校は県民の期待に応え、国内外で活躍する数多くの人材を輩出してきた。本校出身者で教員だった南日恒太郎が、旧制富山高等学校の初代校長となり、弟の英文学者の田部隆次、田部重治とともに世界的な知の財産であるヘルン文庫を設置し、高田力をはじめとする優秀な教員と生徒を集めたことは象徴的である。
さて、現在本校は、普通科5、理数科学科と人文社会科学科各1の計7クラスで学年を構成している。課題探究活動や、専門的な学習、進路に応じたより高度な学習に取り組み、着実に成果をあげてきた。
また、本年度から生徒の力をいっそう伸ばすため、科学教育でも成果があるピア・インストラクションによる指導の充実を図っている。授業や学級活動等での生徒の相互活動を促進するなど、学習活動の高度化と学習定着度の向上に取り組んでいきたい。
生徒諸君が、こうした学習の成果を生かし、主体的な進路選択とともに、明日の社会を担う有為の人材に成長することを期待している。
創校以来128年を迎えるが、この間は1年たりとも安閑とした年はなかったといえる。常に時代や地域の課題と向き合い、生徒の成長のために努力を重ねることによって形づくられてきたのが、本校の歴史と伝統である。
現代において教育を取り巻く課題はさまざまあるが、本校の生徒・教職員の力を生かし、ともに労を惜しまずに取り組むことで、乗り越えてゆくことができると確信している。
緑なす樹木や校舎のそこここに息づく伝統と歴史を私たちの力とし、今後とも生徒の願いをかなえる学校、保護者から信頼され、地域の誇りとなる学校として充実を図ってまいりたい。