
略歴
1945年3月 富山中学校(旧制)4年卒業
1950年3月 金沢高等師範学校卒業
1950年4月~1964年3月 富山高等学校勤務
1964年4月~1987年3月 県教委、高岡・芳野中学校
富山・堀川中学校
入善高等学校勤務
1987年4月~1989年3月 富山高等学校校長
その後、北陸学院中・高校校長
アームストロング青葉幼稚園園長・理事長
現在 優遊閑居
富山高校は近く創立130年を迎えます。2013年は、富山県立富山高等学校と校名改称から60年になります。校名の改称に合わせ校章・校旗・女子制服を制定していますから、一校の創設に相当する変革です。したがって、新設校であれば創立60周年に当たります。そのようなこともあり、歴史・伝統に想いを馳せるこの頃です。
11月下旬のある日、久しぶりに富山高校を訪ねました。正門を一歩入ると、いつもながらの学び舎に相応しい静謐な空間が拡がります。一群の松は前校舎建築の際に植樹され、この庭園は富山県の造園事業として最初期のものといわれます。これらの松の中には1971年火災で木質部が焼け樹皮だけ残して40年余、いまなお青々と葉を繁らせているものがあります彼は何を語り伝えようとしているのか、と考えます。 視線をめぐらすと「太郎丸の杜」は些か疎になった感があります。第二の「太郎丸の杜」づくりの努力もなされているようです。グランド南側遊歩道沿いに植えられた若木は、4年前訪れた時に較べ格段に逞しく育ち、寒風の中に凛として立っております。
石川県立美術館で開催された日本伝統工芸展を観にいきました。第60回で350を超す出展作品に圧倒される思いです。巨大な栃の根の部分を用いた作品がありました。作者はこの素材とどのように出会い、どのような思いで鑿をふるったものか、と考えます。籃胎蒟醤十二角食籠「蝶蜻蛉」という作品の前で足が止まります。木地の代わりに竹を組み、漆を塗り重ね、彫ったところに別の漆を充填するといった工法が用いられたようで、形・色合いが柔軟な感があります。
そこに素材を緻密に編み、漆を塗り・彫り・研ぎを重ねていく、作者の心と技との結合があります。伝統とは単に墨守・継承ではなく、創造の血が滲むような工夫・努力である、と痛感いたします。
私が尊敬する岡島正平先生──富山中学35回卒、第21代校長──は、よく「学校にはいのちの流れがある」と語られました。いのちの流れには宗教的、生物学的にも様々な解釈がありましょう。中村桂子の説く生命誌にもその響きがあり心惹かれます。学校のいのちの流れというと、音高い大河の流れだけでなく、伏流水・地下水脈をも連想します。これらの思いに応えるように、先生は「形成」45集で述べます。「川の流れが岸を洗い、岩を噛むように、私どもの生命、民族の生命の流れは生活の隅々まで浸し、幾度かの困難をも乗り超えてゆきます。
悲嘆を乗り超え、運命を切り開く力がなくては、生命とは言えますまい。この生命の力が、つねに活き活きするように手助けするのが「教育」であります。」さらに「私自らはこの生命の流れが『死に耐える』ことを期したいのですが、如何でしょうか。老人の誇りをもって、自律ある生活を生きぬきたいのです。
それではどのようにこの生を価値あらしめますか。それが日々の課題です」この言葉に私は粛然と沈思いたします。