
略歴
1973年 富山高等学校卒 東京大学法学部卒
1978年 文部省入省 、文部科学省生涯学習政策局政策課長
大臣官房人事課長を経て
2005年 大臣官房審議官(初等中等教育局担当)
2009年 スポーツ・青少年局長。初等中等教育局長、高等教育局長を経て、
2014年1月より現職
公益財団法人 東京オリンピック・パラリンピック
競技大会組織委員会 常務理事/副事務総長
富中富山高校は「学びたきもの集う」の創設の志の下、文武両道の精神を受け継ぎ、平成27年130周年を迎えます。近代オリンピックは、1894年パリでのオリンピック復興国際会議、1896年アテネでの第一回大会開催から120年を刻んでいます。パラリンピックは、1960年ローマ大会後に国際ストーク・マンデビル競技大会(第一回パラリンピックの位置付け)が開催され、1964年東京大会後に公式にパラリンピックと称して開かれ半世紀となります。我が母校同様、近代オリンピック・パラリンピックともに永い歴史を有し、変革を重ねていますが、ここではオリンピック・パラリンピックの創設者の足跡の一端を辿って、スポーツの力について考える一助にしたいと思います。
近代オリンピズムの生みの親《クーベルタン男爵》は「卓越、友情、尊敬」をキーワードとしてオリンピズムを提唱しており、教科書で「オリンピックで重要なことは勝つことではなく参加することである。」という言葉が有名です。その言葉は更に「人生で重要なことは勝利することではなく闘うことである。その本質は打ち克つことにではなくよく闘ったことにある。」と続いています。仏の教育者ならではの言葉で、結果のみに捉われず活動の過程や意思・意欲が大事であると問いかけています。
クーベルタンと同時期にスポーツの力を教育活動に活かそうとした日本人教育者がいます。《嘉納治五郎博士》は柔道の創設者として有名ですが、東京高等師範学校長として体育活動を男女ともに採り入れ、学生が卒業後全国の学校に体育を拡めたようで、学校体育や部活動、女子スポーツの生みの親でもあります。嘉納はクーベルタンのオリンピズムに共鳴してアジア初のIOC委員となり、「日本のオリンピック運動の父」と称されています。「精力善用、自他共栄」(すべての力を最大限に生かして社会のために善い方向に用いること、相手を敬い感謝することで信頼し合い助け合う心を育み、自分だけではなく他人とともに栄える世にするという意味)が嘉納の真髄です。書き進めていると、これらの精神と校訓「慎重」「敢為」と通ずるものがあります。
パラリンピズムにも英国と日本に二人の父がいます。かつて日本で《中村裕(ゆたか)博士》が身体障害者のリハビリにスポーツを取り入れようとした時「障害者は家でおとなしくしているものだ。障害者を晒しものにするのか」という声が上がったそうです。中村氏は整形外科医として英国ストーク・マンデビル病院に《ルードヴィヒ・グッドマン博士》を訪ねました。グッドマン博士は第二次世界大戦で脊髄を損傷し下半身麻痺の兵士の精神的肉体的リハビリのためにスポーツを採用しました。ストーク・マンデビル競技大会が拡大しローマ、東京でのパラリンピックに受け継がれました。グッドマンに学んだ中村は帰国後、大分県別府市の「太陽の家」を拠点に、障害者スポーツの振興に心血を注ぎ、昭和36年に第一回大分県身体障害者大会を開催し、東京パラリンピック大会では選手団長を務めました。
標題の言葉は東京五輪五十周年の昨10月10日に2020年大会のビジョンの骨子案として掲げたものです。その後に「1964年日本は変わった。2020年世界を変えよう。」と続けています。
2020年の大会は、①スポーツだけではなく、文化・教育なども推進、②東京だけではなく、被災地をはじめ日本、世界すべての地域の発展の契機に、③2020年大会の成功だけでなく、2020年後に有形・無形のレガシー(遺産)を日本に、という理念で進めています。富山、日本全国からの御支援をお願いします。