
略歴
1993年 富山高校普通科 卒業
1997年 筑波大学生物学類 卒業
2012年より
現在 富山市内小・中学校に教員として勤務
私は富山高校の演劇部に所属していたときに、そこで朗読劇に取り組むようになり、今もその活動を続けています。
朗読劇というものとの最初の出会いは、地人会という団体の朗読劇「この子たちの夏」でした。広島・長崎の原爆の被害に遭った子供たちや母親たちの手記を中心にまとめられた作品で、母を思う子、子を思う母の愛情や、愛しいものを失ってしまった寂しさや苦しさ、また苦境を乗り越えて生き抜いていこうとする強さなどが、より戦争の悲惨さを伝える作品でした。日色ともゑさんなど名だたる俳優さんたちが朗読をしていました。その朗読劇が各地をまわるときに、地元の高校生なども一緒に舞台に上がるという企画があり、演劇部の1年生だった私は先輩とともに参加させてもらいました。
また、朗読劇を始めることになるもう一つのきっかけは、校外で活動するようになったことでした。演劇部の活動としては、大会等も含め、年間に取り組む芝居の数は決まっていましたが、私がいた頃の演劇部員たちは、ほかの時期にも何か芝居をしたいと顧問の和田雄二郎先生に訴えました。マリエとやまにオルビスという小劇場があるからそこでやってみてはと勧められ、1年生の春休みに、大会以外では初めて、学校以外の場所で芝居をすることができました。そして、2年生の夏休み、再びオルビスで芝居をすることになりました。この頃、先述の「この子たちの夏」がとても好評で、全国各地をまわり切れないので、脚本やスライド等を貸し出すから、一般の人たちもやってみないか、という呼びかけがありました。和田先生はこの呼びかけに応える形で、朗読劇をやってみようと提案してくれました。こうして、私たちの朗読劇がスタートしました。
当時の演劇部員は数が少なく、これも和田先生の提案で、卒業生の力を借りることにしました。大学生や社会人の先輩たちといっしょに舞台に立つことになりました。そんな経緯もあって、私も大学生になって以降も当たり前のように朗読劇に参加しました。
やがて観客から、「まもなく富山で空襲があってから50年になるけれど何かしないのか」と指摘を受けた和田先生は、富山大空襲を題材に取り上げることを決意し、自分で脚本をつくりました。その後も、富山大空襲を題材にすることが多くなりました。
戦争と平和をテーマにした朗読劇に取り組んでいると、年ごとにだんだん気持ちに変化がでてきました。1年目に感じていたのは「かわいそう」という思いでした。こんな悲惨な出来事をみんなに伝えなくてはという思いです。2年目に感じたことは「だれのせいでこんなひどい目にあわなければならなかったのだろう」という怒りでした。3年目になると、「戦争が起きないようにするために、私にできることは何だろう」と考えるようになりました。幸運にも朗読劇に出会うことができ、朗読をすることが好きな自分、そんな自分だからこそできることは、この朗読劇を続けることだと思うようになりました。こうして私にとって欠かすことのできない活動になっていくことになります。
演劇部の顧問として、その後は朗読劇の会の代表として、長年にわたり、脚本をつくり演出もし、会場の手配や参加者集め、広報活動などいろいろなことをしてくれていた和田先生が3年前に逝去されました。私は代表を引き継ぎましたが、残念ながら私には、和田先生のようにすべてをこなすだけの力はありません。でも私には仲間がいます。年齢はばらばらですが、同じ高校の演劇部員だったというつながりで朗読劇に参加しているみんなが、それぞれにできることをして助け合いながら朗読劇をつくり上げています。
戦争は絶対にしてはならないし、戦争をしたい人もいないはずです。
それでもなお、世界から戦争がなくなることはありません。
私たちの活動は小さな活動ですが、これからも声をあげ続けていきたいと思っています。