「後藤田五訓」をめぐって ─組織の中での行動指針

略歴
1966年 富山高校卒業
1970年 東京大学卒業。同年、大蔵省(現財務省)に入省、その後、内閣官房長官秘書官、文書課長、小渕恵三内閣総理大臣秘書官、主計局長など歴任
2004年 財務事務次官就任
2006年 退官後、防衛大学校客員教授、㈱日本政策金融公庫総裁などを務め、現在、プルデンシャル・ホールディング・オブ・ジャパン㈱取締役。

 我々“団塊の世代”は(私は昭和22年生まれ)、既に後期高齢者群に入りつつあり、日々過去を振り返ることが多くなっている。私のこれまでの人生の過半は、いわゆる役人生活であったが、その中には忘れがたいことども(特に政治家たちとのこと)が多い。そのうち、今日でも繰り返し拳拳服膺しているものを特に一つ採り上げてみたい。それは「後藤田五訓」である。

私は2度官邸生活を過ごした。1回目は官房長官秘書官として3人(後藤田正晴、小渕恵三、塩川正十郎の3氏)にお仕えした(2回目は、小渕総理の秘書官として)。「五訓」は、後藤田官房長官時代に同氏が官邸職員に話されていたものである(もっとも、御本人は「五訓」というほどにきちんとした形で指示したつもりはないとされていた)。(佐々淳行著「わが上司後藤田正晴」(文藝春秋刊)を参考にまとめると)大要、以下のとおりである。

①省益を忘れ、国益を想え
②悪い事実ほど速やかに真実を上げよ
③勇気を持って意見具申せよ
④自分の仕事でないと言って争うな
⑤決定が下ったらそれに従い速やかに実行せよ

これは、対象が主として行政官向けではあるが、組織一般に通じるものであり、いわば「組織の中での行動指針」と言ってもよいものであろう。項目ごとに私なりの受け止め方を解説してみたい。

①は→単なる一片の歯車でなく、全体の立場から考えよ、セクショナリズムに陥るなということ。「One for all, All for one」に通ずる考えである。別の言い方としては、例えば、ことに当たっては、少なくとも1つ上の上司の立場だったらどうするかを考えよということ。
②は→これは、組織の運営特に危機管理上最も大切なこと。事態が進み、どうしようもなくなってからでは、どんな優秀なリーダーでも、手の打ちようがなくなってしまう。そのためには、平素から、部下の方ではなくむしろ上司の側から、遅滞なく上げやすい環境づくりを行うことがリーダーたる者の務めである。
③は→事態の報告だけで「どうしましょうか」と上げるだけでは、全く無責任であり、単なるメッセンジャーボーイにすぎない。できれば3つの対処案(最善、次善、ギリギリの案)を用意して判断を求めることがベストである。
④は→消極的な権限争いはするなということ。世の中や状況は時々刻々変化する。現状のままの分担では間に合わない分野が出てくる。「ポテンヒット」になってしまう。故に変化から逃げるのではなく、むしろ“領空侵犯”するほどの構えでやるべし。これは①の観点にも通ずるもの。
⑤は→最終的には、これがないと組織はもたない。上司とギリギリまでに詰めた上、もしどうしても決定を実行できないのであればその組織からは去るべきである。そこまでの覚悟をもって詰めることが大切である。
以上が「五訓」である。

どの項目とも、その後の職務遂行に当たって、度々、有益かつ有効な指針となった。後藤田氏に秘書官として直接お仕えした期間は中曽根政権の最末期の約3か月間だけであったが、その後もお亡くなりになるまで(の約18年の間)ほぼ数か月に一度の割合で財政政策を中心に御報告するなどの機会を得ることになった。その際、多くのことについて御教示賜ったことが同氏の生の声とともに思い出される。中でも「五訓」の⑤に関連し、「官と民」や「政と官」のあり方をめぐって、よく御自分の体験をまじえてお話を伺った。

そして、私にとっては、官としての「矩(のり)」を如何にギリギリ究めるかは、思いを巡らしながら常にその解を求め続けるべき重要な課題と受け止めている。

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