永遠の青春のシンボルー富山中学校

略歴
昭和20年 富山中学校卒業
昭和23年 金沢工専(現・金沢大学工学部)卒業
昭和25年~52年 富山県教職員、教委主幹
昭和55年 富山県立近代美術館、課長・副館長
平成5年 高岡市美術館館長
平成8年 学校法人職藝学院副学院長、後顧問
平成8年 富山県芸術文化協会副会長を経て参議

母校の校舎が焼失したのは、昭和46年5月23日深夜のことだった。富山市丸の内の消防署前に住んでいた筆者は火事を知って、直ちに、当時滑川市に住む親友江尻正文氏に「学校が火事だよ」と電話するとともに、早速母校へと走った。猛炎をあげて燃え盛る母校の姿を眼前にして、ことばも出なかった。

不思議なご縁と言うべきか、筆者はその火災直前の一日、親友江尻氏が母校の当直で在校しているのを知って、母校を訪ねたのだった。そして少年の日に在学した校舎の思い出の場所をカメラに撮ったりしたのだった。

正面玄関、その前の廊下から二階へと上り、二階の窓から、いつもは小使いさんが授業の開始と終了を告げるために鳴らす鐘を眺め、その窓から中庭を見おろし、廊下の床を軋ませながら、廊下を歩いた。校舎前館に並ぶ教室は在学時、4年・5年を過ごした教室である。窓から覗く教室の佇まいは、昔とほとんど変わらない。

右に曲がった角の教室は昔の音楽室で、昭和15年の在学時は関口駒之助先生に校歌を教わり、またベートーベン第九のサワリを歌わせられた記憶が蘇ってくる。またこの辺りの教室の窓からは、少し離れた県立高女の窓が見えるとか見えないとか、悪童どもの騒いだ昔の記憶も蘇ってくる。

当直の畏友江尻氏を訪ねたことが切っかけで、思い出の富山中学校旧校舎の写真が筆者の手に残り、その写真は当然ながら、いまに母校に収められているので、ここに2葉を紹介したわけだが、筆者にとって、母校〈富山中学校〉は、まさに青春のシンボルであり、永遠に忘れられない存在で、臆面もなく駄文を弄している次第である。

我北陸の中枢に 国の鎮めと峙てる/名も立山の朝日影 その崇高を仰ぎみよ
峨々たる峰に雲湧きて 自然の霊威輝けり

学生時代に口ずさんだ、あの懐かしい富中校歌を唱ずるとき、今もふつふつとして甦ってくる感激。つい先日も母校の一郭に佇って、青春回顧のひとときを過ごしたが、その時。率然として浮かんで来たのは、〈富中城南の杜〉創設の構想である。
母校の校庭は今も鬱蒼とした緑に恵まれているが、あの敷地南隅の辺りに憩いの一画を設け、そこに母校追慕の恒久空間を創設する案である。著名なしにせ大学のキャンパスの例にあやかりたいと、あえて提言する次第である。 

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