真摯、励精なる学問の開拓者

雪 山 俊 夫〈11回〉

研究者・教育者・住職として

雪山俊夫は明治13年(1880)4月1日に浦山村(現黒部市宇奈月町浦山)のに生まれた。幼少から多彩な能力を発揮して将来を期待され、明治32年(1899)に富山中学校を卒業し、第一高等学校を経て東京帝国大学に進んだ。ここで俊夫は(夏目漱石、らとの交友でも有名)と出会う。藤代は東京帝国大学ドイツ文学科を卒業後、大学院に進学し、研究しつつ第一高等学校などでドイツ語を教えていた。明治31年には東京帝国大学文科大学講師も嘱託された。その二年後にはドイツへ留学するため、二人の重なる時期は必ずしも長くはないが、研究意欲に燃える若き教育者藤代から雪山が大いに刺激を受け、学問に目覚めたことは間違いない。その後、明治39年東京帝国大学を卒業した雪山は第四高等学校、さらに第六高等学校にドイツ語教師として勤務したが、第六高等学校時代に住職であった兄が他界したため、雪山は跡を継がなければならなくなった。しかし、親族、地域の人々の理解、協力もあり、長野の親戚から住職代理を迎え、雪山は善巧寺第十九世住職でありながら、教師・研究者の道を引き続き歩むことができたのである。

「ニーベルンゲンの歌」との出会い

教育者のみならず、研究者としても認められた雪山は、大正10年(1921)文部省の推薦で念願のドイツ留学を果たした。ベルリン大学で著名なレーテ教授・ヘルマン教授に師事し、ライプチヒ大学ではジーフェルス教授のもとで畏友ドクトル=カルクとともに中世語学の研鑽を積んだ。そこでゲーテの「ファウスト」と並び、中世文学や語学が尊重され、中でも「ニーベルンゲンの歌」が盛んに研究されていることを知るのである。
帰国後、雪山は大正14年(1925)から京都帝国大学に招かれドイツ文学・語学の講師となる。この時の京大ドイツ文学教授こそ藤代禎輔であった。この恵まれた環境で、雪山は本格的に「ニーベルンゲンの歌」の研究をはじめる。この作品は留学前にも原文で読み進めたものの、使用言語が現ドイツ語ではなく、参考書も少なく解読が難しかった。また、ドイツ国内では研究は盛んであるものの、本文の正しい言葉の理解や成り立ちを総合的にまとめた研究書はなかったのである。雪山はそれを自らの手で作ろうと考えたのである。こうして先行研究の乏しい分野を真摯な姿勢とたゆまぬ努力で切り開いていく雪山を今まで出会った恩師らが励まし、助言を与えてくれた。そして昭和9年(1934)、『ニーベルンゲンの歌 基礎の研究』が刊行されたのである。この書の緒言で、雪山はドイツ語の基礎から指導を受け、病床にあっても教示を惜しまなかった故藤代教授(昭和2年死去)をはじめ、故ジーフェルス教授や親友カルク教授への感謝の言葉をつづっている。こうした雪山の研究成果は高い評価をうけ、文学博士の学位を授与された。さらに昭和10年(1935)にはドイツ政府から栄えあるフンボルト賞を日本人として初めて授与されたのである。

雪山俊夫を語る

昭和19年(1944)、京都大学を退職した雪山は善巧寺に戻り、門徒の教化に努めた。前年に妻を亡くし、子供たちも巣立っており、寂しい生活であったが、読書は決して欠かさなかった。知人には、京都へ行き、ゲーテ協会のために尽力したいとも語っていたという。しかし、間もなく病に倒れ、昭和21年(1946)11月8日、66歳で帰らぬ人となった。
長男の俊之は、父を「本を大切にする人」であり、「自分の後ろ姿を通して教えてくれる人」であったと語る。書斎には原書しかなく、「語学を学ぶには原書にあたれと言わんばかり」であったという。学問に対する厳しい雪山の姿勢がうかがわれる。
『ニーベルンゲンの歌―構成と内容―』の著者の石川栄作(現徳島大学教授)は、九州大学の独文学研究室の書庫で初めて『雪山文庫』と出会った。入手不可能な1800年代の貴重な古書をみて「筆舌に尽くしがたい感動」を覚え、「生涯のテーマが一瞬で決まった」という。また、「その古書を手に取ってページをめくっていると時々雪山博士のハガキや原稿の一部が発見され、別の感動を覚えた」とも述べている。手紙の内容は知る由もないが、雪山との時空を超えた「対話」を通して研究を志す若者が育っていったと言えようか。
最後に、雪山の死後、学会誌に寄稿された小牧健夫(九州大学名誉教授。雪山の蔵書を『雪山文庫』として九大に寄贈を斡旋)の文章から一部を紹介して結びとしたい。小牧は雪山の学問に対する真摯で極めて良心的な態度とともに、「開拓者」としての面を評価し、その業績と人間性を称えている。
「開拓者の行く道はつねに険しく寂しい。雪山君も稀にはそういうことを漏らしたこともあったが、学問的情熱が旺盛な君はそれをかこつ(不満を言ったり、それを口実にする)ようなことはしなかった。むしろこのような仕事を畢生の業に選んだことに喜びとある矜持を持っていたようにも見えた。」
(裏野哲行)

参考文献:『語りつぎたい黒部人~黒部に足あとを残した人々~』(黒部市教育委員会・2008)。雪山俊夫『ニーベルンゲンの歌 基礎の研究』(大岡山書店・1934)。泉健「藤代禎輔(素人)の生涯―瀧廉太郎、玉井喜作との接点を中心に―」(和歌山大学教育学部紀要 人文科学第60集・2010)。小牧健夫「雪山君の業績」(『ドイツ文学』vol.1・日本独文学会・1947)。石川栄作「私と図書館」(徳島大学附属図書館報№47・1993・4)。『宇奈月町史』(宇奈月町・1969)。

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