精 神 の 頽 廃

略歴
昭和28年 富山高等学校卒業
昭和32年 東京大学文学部フランス文学科卒業
中学校・高等学校・教育委員会勤務
(うち昭和35年9月~昭和45年3月富山高等学校勤務)
平成 3年 富山県教育委員会教育長
平成 6年 富山県立近代美術館館長
平成10年 富山県教育委員会委員長

ソポクレスの「アンディゴネ」が初めて上演されたのは、多分紀元前441年のことである。その頃アテナイはペリクレス時代を迎え、デロス同盟によって覇権を握りギリシア第一のポリスとして繁栄の絶頂にあった。ペルシア戦争を経験した市民の意識は昂揚し、理想的な民主政の実現に向かって前進を続けていた。ソポクレスの悲劇は、この時代を映し出すものである。

「アンディゴネ」には、通例「人間賛歌」と呼ばれるコロスの合唱歌がある。「不可思議なるものあまたある中で人間にまさる不可思議なるもの絶えてなし」で始まる歌の中で、ソポクレスは人間の「技術」を称えている。それは、ことばをあやつり思考をめぐらすことを、産業を興すことを、そして時には自然をも己が意に副わせることを、可能にするものであった。しかし、詩人の洞察力は、そこに止まるものではなかった。

この合唱歌の最後の部分には、次のようなことばがある。

まことに、技を織りなす
才知は大方の見込みを越えてなお
時には悪、時には善の道を行く。
国の掟を尊び、神の正義を誓って尊ぶところ
国は栄え、心おごれるゆえに
見苦しきを敢えて行なうところ
国は滅ぶ
(柳沼 重剛訳)

 「技術」は、確かに、人間を野蛮から文明へと導く。しかし、それ自体は善でもなければ悪でもない。大切なのは、 それを用いる人間の心の有り様である。
10年後、前431年にペロポネソス戦争が勃発する。ペリクレスには勝算があった。迷うことなく籠城策をとったが、この時彼が予想もしなかった事態が発生する。疫病の流行である。病は猖獗を極め、ペリクレス自身も罹患し、死に至った。戦争と疫病は、アテナイ市民から、その理想を、気概を、超越的ものへの畏怖心を、奪っていった。

トゥキュディデスの「戦史」によれば、「人は、それまでは人目を忍んでなしていた行為を、公然とおこなって恥じなくなった」のである。 これほど、アテナイ市民の精神の頽廃を示すものはない。二度に及ぶ戦争は前404年、アテナイの敗北によって終結をみた。

ソポクレスが死んだのはその前年のことだった。ポリスとしてのアテナイがこれで消滅したわけではない。 プラトンは健在だったし、アリストテレスも出た。しかし、アテナイが衰退の道をたどるのを押し止めることは、誰にも出来なかった。

いかなる組織も、その消長には、構成員の精神の有り様が大きく関る。現在の我が国の状況を見る時、いささかの不安を覚える所以である。 これが杞憂に終わるよう努めなければならないだろう。そういえば、同窓会も、組織には違いない。私も会員の一人である。心すべきことと思う。

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