当会について
ご挨拶
平成27年1月25日、私たちの母校「富山高等学校」の前身・「富山県中学校」は、明治18年に富山県初の中学校として開校されてから130周年を迎えた。
この「富山県中学校」が初めて卒業生を送り出したのは明治22年であるが、間もなく同窓会といわれた会もできたとの記録がある。
しかし、会の実態は同窓生・在校生・教職員が渾然とした組織だったようで、現在のような同窓生だけの組織、私たちの「富山高等学校同窓会」の前身・「富山中学校同窓会」が設立されたのは、「富山県中学校」が「富山中学校」と名を改め、創校30周年を迎えることになった時期の前後にあたる大正3年である。
すでに100年を超える歴史を持っていることになる。
本会は、私たちの誰もが、ひとこと口にするだけで、世代が違っていても、お互いにあらためて確かめあうことなく、「慎重敢為」という校訓のもとで学んだ同窓生であり信頼しあえる仲間であることを確信できる者たちの会である。
3万人を超える同窓生のなかには、国内・海外を問わず、各界で優れた業績を収めた方、目覚ましい活躍をした方々を多数みることができる。
このホームページを、互いに「太郎丸の杜」で学んだ者同士の絆を確認し、それぞれの立場で活躍を誓いあう場として活用していただくよう期待して、運営していきたい。
この「富山県中学校」が初めて卒業生を送り出したのは明治22年であるが、間もなく同窓会といわれた会もできたとの記録がある。
しかし、会の実態は同窓生・在校生・教職員が渾然とした組織だったようで、現在のような同窓生だけの組織、私たちの「富山高等学校同窓会」の前身・「富山中学校同窓会」が設立されたのは、「富山県中学校」が「富山中学校」と名を改め、創校30周年を迎えることになった時期の前後にあたる大正3年である。
すでに100年を超える歴史を持っていることになる。
本会は、私たちの誰もが、ひとこと口にするだけで、世代が違っていても、お互いにあらためて確かめあうことなく、「慎重敢為」という校訓のもとで学んだ同窓生であり信頼しあえる仲間であることを確信できる者たちの会である。
3万人を超える同窓生のなかには、国内・海外を問わず、各界で優れた業績を収めた方、目覚ましい活躍をした方々を多数みることができる。
このホームページを、互いに「太郎丸の杜」で学んだ者同士の絆を確認し、それぞれの立場で活躍を誓いあう場として活用していただくよう期待して、運営していきたい。
富山県立富山高等学校同窓会(ホームページ担当)
富山高校同窓会100年の歩み(冨中冨校百年史より)
明治期の同窓会 | |
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明治18年 1月25日 | 富山県中学校開校 128名入学 |
明治22年 7月20日 | 富山県中学校第1回卒業式 23名卒業 |
明治23年 8月26日 | 同窓会開催 |
明治27年10月 7日 | 文武会発足 (在校生が中心。在校生は通常会員、同窓会会員は特別会員) |
明治期以降の同窓会 | |
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大正 3年 8月23日 | 富山県中学校同窓会設立 ・会員を同窓会生のみにするも、会長は校長が兼務する定め |
大正 4年 1月25日 | 富山県中学校創校30周年 |
大正 4年 4月 1日 | 校訓「慎重 自ラ持シ、敢為 事ニ当ル」制定 |
昭和23年 4月 1日 | 学制改革により富山中学校を富山高等学校と名称を改める |
昭和23年 8月15日 | 同窓会大会・規約変更 ・運営主体が学校から同窓生に移る ・同窓会長を同窓会員から選出する ・同窓会名簿作成 |
昭和23年 9月 1日 | 富山高等学校を富山南部高等学校と名称を改める |
昭和27年 8月17日 | 富山中学校同窓会を富山南部高等学校同窓会と名前を改める |
昭和28年10月 1日 | 富山南部高等学校を富山高等学校と名称を改める |
昭和35年 8月17日 | 同窓会規約変更 ・普通維持会員・永久維持会員制度導入 ・奨学金制度創設 |
平成19年 8月17日 | 同窓会規約変更(永久維持会員制度廃止) |
平成19年 9月 1日 | 同窓会員による事務局発足 |
平成26年 8月23日 | 同窓会設立100周年 |
平成27年10月 1日 | 富山高等学校創校130周年・同窓会設立100周年記念式典挙行 |